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長野地方裁判所 昭和42年(ワ)4号 判決 1968年6月17日

原告 北島義秋

右訴訟代理人弁護士 丸山衛

被告 小山英雄

右訴訟代理人弁護士 富森啓児

右訴訟復代理人弁護士 岩崎功

主文

被告は、原告に対し、七五万三、一五三円およびこれに対する昭和四二年一月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告は、「被告は、原告に対し、一一九万七、四一五円およびこれに対する昭和四二年一月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに仮執行免脱の宣言を求めた。

第二、請求の原因

一、原告は、昭和四〇年九月六日午前七時四五分頃、長野市青木島町青木島甲一四八七番地先路上において、自動二輪車を運転進行中、先行する被告運転の普通貨物自動車(長4ふ五一一五号)の開扉した左側扉に衝突して転倒し、同日から昭和四一年一月末日まで市内南石堂町の小池外科病院に入院加療を受け、その後もなお一年以上の長期に亘り通院加療を要する後頭部打撲および挫創、額部打撲、脳震盪症、頭蓋内出血、右膝部挫創、右下腿部挫創、右脛骨および腓骨骨折、右肘部挫創の重傷を受ける事故(以下本件事故という)に遭った。

二、右事故は被告の過失によって惹起されたものである。即ち、被告は、右路上左側で、自車を停車させ、同乗の小林良雄を運転台左側乗降口から下車させるに際し、後方の安全を確認したうえで開扉させるべき注意義務があるのに、これを怠り、慢然と同人が開扉するのを放任した過失により、折から後方より進行し、自車左側方を通過しようとした原告運転の自動二輪車に左側扉を衝突させ、原告をその場に転倒させるに至ったのである。

三、原告は、本件事故により次のとおり合計一一九万七、四一五円の損害を受けた。

1、財産的損害

(1)原告は、当時三協乳業株式会社長野工場に製造課第一係主任として勤務し、一箇月四万五、八〇〇円の給与(基本給四万一、三〇〇円、役付手当一、五〇〇円、家族手当三、〇〇〇円)の支給を受けていた。ところが、本件事故による受傷の結果昭和四〇年九月六日から昭和四一年三月末日まで長期欠勤を余儀なくされたため、右七ヶ月分の役付手当一万〇五〇〇円および家族手当二万一、〇〇〇円の合計三万一、五〇〇円の支給を受けられず、同額の得べかりし利益を失った。

(2)昭和四〇年年末賞与につき、満額支給の場合には基本給四万一、三〇〇円の二・一七箇月分に当る八万九、六二一円の支給を受け得た筈であるのに、前記欠勤のため五万八、三八〇円しか支給されず、その差額三万一、二四一円の損害を受けた。また、昭和四一年夏季賞与につき、満額支給の場合には基本給四万五、三〇〇円(昭和四一年四月から基本給が四、〇〇〇円昇給された)の一・九九箇月分に当る九万〇、一四七円の支給を受け得た筈であるのに、右欠勤のため四万〇、二一五円しか支給されず、その差額四万九、九三二円の損害を受けた。

(3)右長期欠勤がなかったならば、原告は、昭和四一年四月から月額六、六〇〇円昇給するはずであったのであるが、右長期欠勤のためその昇給額は月額四、〇〇〇円に止った。これによる損害の算定は困難であるが、原告は、そのために少くとも昭和四一年四月から同年末までの九箇月間の右差額分合計に相当する二万三、四〇〇円の得べかりし利益を喪失し、昭和四一年夏季賞与でも(2)に述べた外に右差額二、六〇〇円の一・九九箇月分に当る五、六四二円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

(4)原告が勤務する会社の就業規則によれば、年間(始期は四月一日)全労働日の八割以上出勤した者には年次有給休暇が与えられることになっている。原告は、昭和四〇年四月一日から昭和四一年三月三一日までの年度には一八日の有給休暇を有し、本件負傷当時なお一〇日を残していたが、これを前記負傷治療のための欠勤日に振替えた。また、前記長期欠勤があって、昭和四〇年四月一日から昭和四一年三月末日までの一年間に全労働日の八割以上出勤できなかったので、昭和四一年四月一日から昭和四二年三月末日までの年度分一九日(勤務年数が一年増す毎に休日は一日増加する)の年次有給休暇を取得することができなかった。右一〇日および一九日の休暇を金銭に換算すれば、それぞれ一万八、三二〇円(基準内賃金四万、五八〇〇円の二五分の一〇、なお、二五は一箇月平均の勤務日数である)、三万七、八四八円(基準内賃金四万九、八〇〇円の二五分の一九)となり、右合計五万六、一六八円が、本件受傷の結果原告が有給休暇を病欠日に振替え、或は長期欠勤のため有給休暇請求権を失ったことにより蒙った損害である。

2、精神的損害

原告は、本件事故のため重傷を受け、長期間苦しい斗病生活を送ることを余儀なくされ、これによる支出が増加した反面収入は前述のとおり減少したため、老母、妻および子供二人をかかえ、給料収入以外に収入の途のない原告の心労は甚しいものがあった。しかも、本件受傷の結果、手術を受けた右下肢の部位には現在なお金属性の釘が埋没されたままになっており、後遺症として、右下肢の機能は著しく減退し、徒歩も不自由で、特に階段の昇降等には困難を極め、日常生活はもとより、一般社会生活においても欠けるところが多く、従来通勤等に使用していた自動二輪車に乗ることもできないので、通勤に多大の不便を感じている。

また、職場でも能率が著しく減退し、これまでの昇給率の低下の回復は困難であり、将来の昇給等についても大きな不安があり、原告のこれらの精神的苦痛には深刻なものがある。右苦痛を慰藉するための慰藉料としては、少くとも一〇〇万円が相当である。

四、よって、原告は、被告に対し、右各損害金合計一一九万七、四一五円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四二年一月一九日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する答弁

一、請求原因第一項の事実中原告の負傷の部位・程度は知らないが、その他の事実は全部認める。

二、同第二項の事実は否認する。本件事故当日、被告は、出勤途上バスに乗りおくれた小林に懇請されて、同人を市内中御所町北交差点で降車させるつもりで助手席に同乗させた。当時偶々国道一九号線で工事が行われていたため、本来同国道から長野市に入る車輛がすべて迂回して本件事故現場の存する国道一八号線を経由して長野市に至る情況にあり、しかも本件事故発生時は丁度朝の通勤時にも当っていたので、本件事故現場の存する丹波島橋南付近は車輛が延々と連り、一寸刻みに進んでは停車をくり返す状態であった。そして、被告が丹波島橋南のバス停留所付近にさしかかった際、前車が前方の交通閉塞のため停車したので、これに応じて停車したところ、同乗の小林が、車輛が遅々として進行しないのにたまりかねて、突如「ここで降りる」というや否や、被告の制止もきかず、自ら助手席の扉を開けて車外に出ようとしたため、約一尺足らず開きかけた扉に後方から進行して来た原告運転の自動二輪車の右ハンドル右端が接触し、本件事故が発生するに至ったのである。

右事実関係から明らかなとおり、本件事故発生の原因は、安全運転の注意義務に違反した原告の行為と、被告の予期に反した小林の瞬間的な行動にあるのである。即ち、本件事故現場付近は、道路巾員も狭い(原告は、歩行者の歩行区分帯として区分された道路左端の白線内を通行した)うえ、当時右バス停留所にはバスを待つ多勢の人達がいたのであるから、かかる情況下においては、他の車輛を追抜いてはならなかったのであり、仮に、当時の道路状態から止むを得ず追抜をしたとしても、その場合原告が前方を十分注視し、停車中の被告の車輛との間に相当の間隔をおいて徐行する等安全運転のための注意義務を果していたならば、本件事故の発生は未然に防止し得た筈である。また、小林が本件事故現場で下車することは被告の全然予期し得なかったところであり、同人から突然下車する旨告げられてから本件事故発生までは全く瞬間的な出来事であって、被告は小林の行動を制止し得べくもなかったのである。従って、本件事故の発生は、前記原告の過失或は原告の過失と小林の右軽卒な行動との競合によるものであって、被告には何らの過失もない。

三、同第三項の事実はいずれも知らない。

第四、抗弁

仮に、被告に損害賠償の責任があるとしても、被告は、既に、原告に対し、生活保障費として一六万九、二九一円、治療費として四万四、〇七二円を支払っており、本件事故における前記の如き原告の過失を斟酌すれば、右合計二一万三、三六三円を弁済したことによって、被告の原告に対する財産上の損害賠償義務は履行されたものというべきである。

第五、抗弁に対する答弁

被告主張の金員の支払を受けたことは認めるが、その余の主張は争う。

第六、証拠≪省略≫

理由

一、本件事故の発生

原告主張の日時場所で、原告主張の事故が発生し、原告が負傷したことは当事者間に争いがない。

二、被告の過失

そこで、まず、右事故の発生が被告の過失によるものであるか否かについて判断する。

1、≪証拠省略≫を総合すれば、

(1)、本件事故現場は、犀川に架る丹波島橋南端から約一〇〇メートル南方の国道一八号線の路上で、道路巾員は八・六メートル、路面は全面平担なアスファルト舗装で、歩車道の区別はなく、付近は北に向ってゆるやかな上り勾配をなしているが、南北にほぼ直線に延びており、見通しは良好な道路であること、

(2)、被告は、右国道上を北進中、右事故現場にさしかかったのであるが、本件事故発生時は、折から朝の出勤時に当っていたことに加えて、当時国道一九号線の長野市安茂里地籍付近で道路工事のため交通遮断が行われていたところから、右国道一九号線を進行して来た車輛は、迂回して右丹波島橋南詰で国道一八号線に接続する道路に出て長野市の市街地へ向っていたため、本件事故現場付近の道路の市の中心部へ向っての交通は甚だしく渋滞し、右道路の原告の進路側(センターラインより西側部分)には乗用車貨物車を問わず四輪車輛が一列に数珠繋ぎとなって、文字どおり一寸刻みの状態で進行を続けていたこと、

(3)、被告も右のような状態の中を進行を続けていたが、川中島バスの丹波島橋南バス停留所の約七、八メートル前方に近づいた際、先行車が前方の交通閉塞のため停車したので、これに応じて停車したところ、助手席に同乗していた小林が、被告に同所で降りる旨告げると、被告が後方の安全を確認するため振返った間に、右手で所持品の洋傘とナップザックを把るや、後方の安全をたしかめるための何らの措置をもとることなく、いきなり左手で助手席左側の扉を開いたため、折から後方よりほぼ右道路左端から約五〇センチメートル中央寄りの白線沿いに時速約二五ないし三〇キロメートルの速度で進行して来て、被告運転の車輛の左横を通過しようとした原告運転の自動二輪車の右ハンドルに、道路左端から約一メートル中央寄りの地点で右扉を接触させ、その衝撃で原告を同所より約三・四メートル左斜前方の路上に転倒させるに至ったこと、

を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2、右事実関係からすれば、被告主張のとおり、何ら後方の安全を確認することなく漫然と扉を開いた小林の軽卒な行為が本件事故発生の主要な一因をなしていることは否定できない。

3、しかしながら、≪証拠省略≫によれば、前記国道上を北進する四輪車は、前記認定のとおり右道路の西側部分を一列に連なって徐行と停車をくり返していたのであるが、その間、相当数の自動二輪車がその列の左側をかなりの速度で通り抜ける状態が継続していたことが認められ、被告自身、その本人尋問において、右のような交通情況を十分認識していたので、運転に当っては車輛の左側には特に気を配っていたことを自認しているのであるから、かかる情況の下においては、自動車の運転者である被告としては、小林が本件事故現場で降りる旨を告げた際に、(同人のこれに続く動作が扉を開くことであることは当然に予測されるところであり、自動車の運転経験のない者は、車輛の扉の開閉に当っても格別の注意を払わずにすることが少くないことに鑑み、)振返って後方の安全を確認する以前に、先ず、小林が、(因に、前掲証人小林の証言によれば、小林は自動車の運転免許を有せず、従って自動車運転の経験もないことが認められる)交通の安全を確認することなく、漫然と開扉しないよう制止すべき注意義務があるものというべきであり、後方の安全確認に気をとられてこれを怠り、小林がいきなり扉を開けるに任せた点において、被告にも本件事故発生の因をなす過失があったものといわざるを得ない。

4、被告は、小林の行動は被告の全く予期しない瞬間的なものであって制止し得べくもなかった旨主張するが、小林は、全く突然に扉を開いたものではなく、被告に対し、開扉するに先立ち、その場で降りる旨断っているのであるから、前記認定の情況の下においては、被告に対し、右の如き注意義務を課することも決して難きを強いるものではないというべきである。

5、なお、被告は、原告の過失を主張するのであるが、前記認定のような交通事情の下においては、原告が自動二輪車を運転して四輪車の行列の左側を通行することも止むを得なかったものというべきであり、また、本件事故現場は、被告主張のとおりバス停留所の付近であり、≪証拠省略≫によれば、当時右バス停留所にはバスを待つ数人の人々がいたことも認められるが、被告が同所で停車したのは前方の交通閉塞のためであることも一見して明らかであって、右バス停留所で同乗者を降車させるための停車とは到底うけとり難い状況にあったことも認められ、前記1認定の事実に照らすときは、その他原告に本件事故発生の原因をなしているものとみるべき前方不注視或は被告の車輛と相当な距離を保たなかった等の過失があったものとは認め難い。

6、従って、被告は、本件事故の結果原告が蒙った損害を賠償すべき責を免れない。

三、原告の損害

そこで、次に、本件事故の結果原告が蒙った損害について判断する。

1、財産的損害

≪証拠省略≫によれば、原告は、本件事故当時三協乳業株式会社長野工場に勤務し、製造課第一係主任の地位にあって、月額四万五、八〇〇円の給与(内訳は、基本給四万一、三〇〇円、役付手当一、五〇〇円、家族手当三、〇〇〇円)の支給を受けており、その後、昭和四一年四月の定期昇給により右基本給が四、〇〇〇円増額され、同月以降四万九、八〇〇円の給与の支給を受けるに至ったことを認めることができる。

(1)、ところで、原告は、本件事故による傷害治療のため長期欠勤したことにより、右欠勤期間中の役付手当および家族手当の支給がうけられなかった旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張に副う部分もあるが、右証言にはにわかに信用し難いものがあり、他にこれを認めるに足りる証拠がないばかりでなく、かえって、≪証拠省略≫によれば、後記のとおり被告から生活補償費の名目で金員支払を受けたこととあいまって、右欠勤中も事実上は右各手当の支給を受けたと同様の利益を収めていたふしが窺われるから、この点についての原告の主張は採用し離い。

(2)、次に、≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四〇年度末賞与として五万八、三八〇円、昭和四一年度夏季賞与として四万〇、二一五円をそれぞれ支給されたこと、三協乳業株式会社では、昭和四〇年度年末賞与は、基礎日数(この基準となる期間は同年五月二一日から一一月二〇日まで)を一四五日とし、各人の出勤日を右基礎日数で除し、これに支給係数二・一七と基本給の金額を乗じた数値をもとにし、これに勤務成績等による査定に従って五パーセントの調整がほどこされて算定され、昭和四一年度夏季賞与についても基礎日数を一五五日(この基準となる期間は昭和四〇年一一月二一日から昭和四一年五月二〇日まで)とし、支給係数を一・九九とし、右と同様の方法で算定されたものであることが認められ、右数式によれば、調整加算分を除いて計算しても、原告が全労働日に出勤した場合において得られたであろう賞与額は、それぞれ八万九、六二一円、九万〇、一四七円となり、前記支給額との差額はそれぞれ三万一二四一円、四万九、九三二円となるから、右合計八万一、一七三円は、原告が本件事故による受傷の結果昭和四〇年九月六日から昭和四一年三月三一日までの間欠勤したことによって得べかりし利益を喪失したことにより蒙った損害であると認めるのが相当である。

(3)、また、原告が昭和四一年四月の定期昇給による基本給が四、〇〇〇円増額されたことは前記認定のとおりであるが、≪証拠省略≫によれば、前記会社における昭和四一年四月の定期昇給の際の(同社の定期昇給の時期は毎年四月である)昇給率は、昭和四〇年度の基本給に対し平均ほぼ一六パーセントであり、これによれば、原告の昇給額は計算上約六、六〇〇円となるべきところ、前記欠勤等が考慮さた結果、右のとおり四、〇〇〇円の昇給に止ったものであることを窺うことができる。尤も、≪証拠省略≫によれば、右昇給額は各人の勤務成績等に応じて個別的に査定した結果決定されるものであることが認められるから、前記欠勤がなかった場合の原告の昇給額が直ちに右六、六〇〇円となったものと速断することは許されないであろうが、通常の勤務状態の場合にはほぼ例外なしに平均額に近い昇給が行われていた実情にあることも窺われるので、前記欠勤がなかったとしたならば、控え目に見積っても、原告の昇給額は六、〇〇〇円を下らなかったものと解するのが相当である。そして定期昇給の際の昇給率が低率であったことによる不利益は、少くとも次の定期昇給の時期までは回復され得ないものと解すべきところ、原告は、そのうち昭和四一年四月から一二月まで九箇月分の右差額相当額の損害を蒙った旨主張するので、右限度内において、一万八、〇〇〇円を右昇給率低下によって原告の蒙った得べかりし利益の喪失による損害であると認めるのが相当である。従って、同様に、昭和四一年度夏季賞与においても、原告は、右差額二、〇〇〇円の一・九九倍に相当する三、九八〇円の得べかりし利益を失い、同額の損害を蒙ったものというべきである。

(4)、なお、≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四〇年度(昭和四〇年四月一日から昭和四一年三月三一日までの間)は、前年度繰越分四・五日分を加えて二二・五日の年次有給休暇の権利を有していたが、右のうち七日は本件事故による傷害の治療のための欠勤日に振替えたこと、そして、昭和四一年度には、前記長期欠勤のため、前年度の出勤率が全労働日の八割未満となったため、就業規則の定めるところにより、右欠勤がなかったならば与えられた一九日の年次有給休暇を取得することができなかったことが認められる。ところで、原告は、右各日数に応じた一日平均賃金の合計額相当の損害を受けた旨主張するのであるが、月給制により賃金が支払われている場合には、長期間の欠勤は別として、年間を通じて右に原告が主張する程度の欠勤があっても必ずしも賃金カットをしない取扱いがかなり一般的に行われていることは顕著な事実であり、≪証拠省略≫によれば、その趣旨は必ずしも明らかではないが、原告の勤務する会社では一箇月に三日以上欠勤した場合には一日とみなされて基本給から減額されるとの取扱がなされているように認められるから、前記のとおり年次有給休暇を制度本来の目的以外に利用すること(年次有給休暇の制度は、労働者の将来の労働力の維持培養を目的とするものであるから、病気療養等による欠勤を年次有給休暇に振替えることは制度の趣旨から決して望ましいことではない)を余儀なくされたことにより、実質的にはその日数だけの年次有給休暇を失ったと同視すべきこととなり、或は、或年度の年次有給休暇を全部失ったとしても、これによって蒙る不利益は、さもなければ、利用し得た年次有給休暇の利用の途が塞されたため、少くとも右各年次有給休暇の日数に応じただけ欠勤として取扱われる日数が増加することになり、これが将来の昇給、昇格、賞与の査定等に影響を及ぼす可能性をもつことあるに止るものというべきであり、しかも、かかる不利益は、かなり不確実な要素を多分に含むものであるというべきであるから、前記の各年次有給休暇を失ったことにより原告の蒙った損失が直ちに右各日数分の一日当り平均賃金額に合致するとの原告の見解には与し難い。むしろ、かかることによって、原告が蒙るであろう不利益は、後記認定の慰藉料の算定に当り考慮すべき事項であると思料するので、この点に関する原告の主張は採用しない。

2、精神的損害

≪証拠省略≫を総合すれば、原告は、本件事故の結果、原告主張のとおりの傷害を受け、昭和四〇年九月六日から昭和四一年六月三〇日まで約五箇月間小池外科病院に入院し、手術等の治療を受け、退院後も同年六月末日まで通院して投薬・注射等の治療を受け、その間、前記のとおり、右治療のため昭和四〇年九月六日から昭和四一年三月三一日までの長期に亘り欠勤を余儀なくされたこと、そして、現在なお右下肢の機能減退のため階段の昇降や走ることが困難であるほか、日常坐臥にも種々の不便、苦痛を感じており、更に季節の変り目には骨折部に鈍痛がある等の状態にあることが認められ、原告が、本件事故による受傷の結果著しい精神的苦痛を受けたことは明らかである。そこで、右認定の事実に加えて、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、右苦痛を慰藉するための慰藉料としては六五万円をもって相当であると認める。

四、被告の抗弁について

原告が、被告から、本件事故に関して、すでに二一万三、三六三円の金員の支払を受けていることは、当事者間に争いがないが、≪証拠省略≫によれば、右のうち四万四、〇七二円は、原告が入院および通院治療を受けた小池外科病院の治療費として支払われたものであり、その余の一六万九、二九一円のうち一部は、右入院期間中昭和四〇年九月六日から同年一一月三〇日までの間原告の妻がその勤務先を休んで原告看護のため附添ったことに対する手間代およびその間の雑費として、一部は、前記欠勤期間中原告に支給された金員と原告のそれまでの実収額との差額を補うための生活保障費として支払われたものであることが認められ、前記認定の各損害を填補するために支払われたものではないことが明らかであるから、右金員の支払により被告の損害賠償義務が尽された旨の被告の主張は到底採用することができない。

五、結び

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、財産上の損害賠償金一〇万三、一五三円および慰藉料六五万円の合計七五万三、一五三円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年一月一九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないと認めてこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 落合威)

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